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- アートと遊びと子どもをつなぐメディアプログラム2007
◎tendo monto[山田勝洋+福山竜助]
作品解説
「tendomonto」では、作家二人が普段の絵画制作などから培ったエッセンスをもとに、「水のひろば」全体の空間演出を試みました。その試みは、広場全体にひろがる「水」そのものが見せる豊かな様相への気づきを誘発する作品となりました。
広場一面にひろがる水、会場にはその特性と同調し合うように白く細い橋が架設され、大小さまざまな小屋が点在しています。「絵」を想起させるその光景には、水と光が映し出す水面の波の像が時間の移り変わりも相まって、小屋や橋、会場の壁面など、いたるところへその豊かな表情を現しています。
それは、この広場全体が自然の光に包まれていることを知らせてくれているようです。この風景へ足を踏み入れ、広場の中を巡るみなさんは、水、光、音などが戯れて作り出すそのさまざまな様相を全身で感じ、また、その戯れに加わるのです。
そして、その戯れによって、この広場にまた新たな情景が生まれるのです。
感想
この夏は、準備、設置、会期運営などで、スタッフや職員の皆さんとともに大量の汗をかきました。そして、作品の仕上げに欠かせない、子どもたちとご家族の皆さまにも多くご来場いただき、広場にさまざまな表情が生まれ、素敵な「絵」が出来ました。振り返れば、この作品は大きな“遊び”であったように思えます。遊びの内容もですが、たくさんの方々とこの“遊び”をともにできたことが、ぼくにとって何より楽しいことでした。[山田勝洋]
作品の様子をみていると、親子で一緒に作品を体験している姿が数多くありました。そうした親子で作品を体験し楽しんでいる風景は、たいへん美しいものでした。真夏の暑いなかを子どもたちは、水のひろばいっぱいに張り巡らせた作品の上を歩きながら、水や光、音を感じながら思い思いに遊び、楽しんでいたように思います。この作品での体験が、普段の生活の細部にもアートをみつけ、感じとるための糧のひとつになればと思います。[福山竜助]
◎なないろクレヨン[村上泰介]
作品解説
この作品を体験するプロセスの中で、体験者は私たちの日常の景色を彩る様々な色を、それを読み取るセンサーを内蔵した特殊なクレヨン型の機器で物体から情報として読み取ります。読み取られた色の情報を使って、今回はスクリーンに身体全体を使ってコンピューターの介在によって絵を描くかのように映像が投影されます。普段見慣れた環境に当たり前のように存在する色の世界が、情報へと置き換わる瞬間を体験し、その情報が加工され映像になるプロセスをコンピューターによるシステムで構築しました。通常私たちがクレヨンという画材を使って色を選び、絵を描く体験と、このシステムでの体験を対比させてみる試みを通して、現実の世界が記号としての、あるいは情報としての色になる瞬間、どんなことを感じることができるのか、私自身を含め「汗かくメディア」に参加する多くの方に体験してもらおうと考え制作しました。
感想
普段、私たちが暮らす世界には色が溢れています。光や空気、その他様々な要因によって私たちの目に届く彩り豊かな色たち。そうした色という存在を、その場で情報に置き換える道具を作ることで、現実の世界が情報の世界に置き換わる瞬間を体験できるものが作れないかというのが作品制作の狙いでした。作った装置の精度を展示期間中も向上させ続け、子供たちに何度か館内の様々な場所を歩き回りながら「色の採取」の体験をしてもらえる機会を得ました。当初こちらが色のサンプルになりそうな物を用意していたとき、子供たちの多くが「○○色」という色の名前を口にしていました。もしかすると彼らの心の中には既に情報としての色が目の前の物体とは別に存在していたのかもしれません。ところが、館内を自由に歩き回ったとき、子供たちは、そこにある環境そのものを注意深く見ていたように思います。この小さな事件を通して、一種の情報機器を制作し展示した今回の「汗かくメディア」での私の作品を通して、私自身この豊かな世界を注意深く観察するきっかけを生み出せる作品=道具づくりの可能性を感じることができました。
◎ミミクリー[ShigEnd]
作品解説
おおきなパイプに入って中で大きな声を出すとなにか返事が聞こえてきます。どんなことを言っているのか、よく耳をすまして聞いてみましょう。話した言葉と似た返事が返ってくることもあれば、ぜんぜん違う返事が返ってくることもあります。
感想
ミミクリーは「まねしたりまねされたりすること」って以前はよくしたけど最近はしていないなと考えたのがきっかけです。日常生活や仕事の中では人のまねはだめだとか、恥ずかしいとかという気持ちがおおきくなってそういう機会が減ってきてしまいます。遊びの中では面白そうなことをしていたらまねしたり、一緒にしたりということが自然に行うことができるのではないかと、音をまねようとする遊具ミミクリーを作りました。ミミクリーはあまり賢くないので当初予定していたように完全にまねることはできませんでした。しつこいぐらいまねてくる状況を想定していましたがなかなか伝わらない言葉を何度も何度も苦笑しながら言い聞かせるという状況で、その中でも意味のない返事を自分なりに解釈している姿がとても印象深かったです。楽しもうとする気持ちと遊具が何か結びついたような感じがしました。