高野優
さん
(マンガ家)
北海道生まれ。デザイン事務所を経てフリーのイラストレーターに。立体イラストレーションをつくり、テレビCMや雑誌の表紙などを手がける。結婚を機にマンガ家になり、雑誌の連載だけでなく、エッセイ執筆や育児に関する講演などでも活躍。著書に『迷える子育て 高野優の育児カルテ』(フェリシモ出版)、『高野優の育児ハピネス百科』『高野優の空飛ぶベビーカー』『高野優の無敵な母子手帳』『高野優のワンダホ母子手帳』(以上、講談社)などがある。
個性ある3人の娘たちが大好き。

 私には3人の娘がいて、いま7歳・4歳・10カ月です。本当に親バカなんですけれど、個性の違う3人のことがそれぞれ大好きなんですよ。長女の凛(りん)は、野生の猿みたいに木登りが上手で生命力にあふれ、反対に次女の凪(なぎ)は奥ゆかしくて口数は少ないんですが、たまに話すことがすごくかわいらしい。三女の汐(しお)は、理屈抜きで孫のようにかわいくて、育児をしていても焦ったり、イラついたり、怒ったりすることがないんです。上のふたりが手伝ってくれて、私ひとりの育児じゃないからでしょうね。
 長女は三女を溺愛していて、「書いておかないと忘れちゃうから」と、歯が生えたときやつかまり立ちをしたときなど、成長の節目節目に育児日記をつけているんです。「汐が立っていたよ。かわいいよ。すごくかわいいよ」といった内容で、あまりにも純粋で涙が出そうになりますね。
 長女は、自分自身の絵日記もつけていて、私はそれを見て気づいたことがありました。初めは「おもちゃを買ってもらってうれしかった」とか「デパートに行って楽しかった」と書いていたんですが、私は何か違うんじゃないかと思って、「物とか場所を書かないでごらん」と言ったんです。そうしたら、最初は困っていたんですが、そのうち「凪とケンカをしたけど、『さっきはごめんね』と凪が言ってくれてうれしかった」とか「お風呂を掃除したらすごくきれいになった」というような、日常的なことを書くようになって…。私にはそっちの方が素敵に思えたし、おもちゃを与えたり遊園地に行ったりしなくても、普通の生活の中でイキイキと過ごせるんだなあって。だから今は、ご飯をつくったり、お花に水をやったりという日常の一つひとつを娘と一緒に大事にやっています。
 次女は以前、歩行のリハビリが必要だった時期もあるんですが、そんな娘がバレエを習いたいと言い出したんです。私はうれしくて、張り切って一緒に近所のバレエ教室に通い始めたんですが、行くたびに体育座りをしてずっとうなだれているだけで、全く踊らないんですね。レオタードが好きで家ではお昼寝のときも着てるのに、練習に行くと「恥ずかしくてできない」って。
 次女の場合は、発育の問題を抱えてずっと待つ育児だったので、私はいくらでも待てるんです。でも、もともと消極的な子だし、練習しなくても月謝はかかるので(笑)、ある日「今日が最後」と決めたら娘も「わかった」と。そうしたら、その日の練習からいきなり踊り始めたんですよ。今までうなだれながらも、じっと見ていたんですね。今では毎週、楽しみに通っています。私は、練習風景を見るだけでいろんなことを思い出して感極まっちゃうので、発表会のときには自分がどうなっちゃうのか心配です(笑)。
石炭工場で真っ黒になって遊んだ子ども時代。

 子どもたちを連れて、よく近所の川や緑地へ遊びに行くんですよ。川では、石を投げたり、木に登ったり、アメンボをつかまえたり。子どもは自分でいろんなことを見つけて楽しんでいるので、おもちゃは何もいらないですね。私は三女の横で座っているだけなんですが、川は危険なところでもあるし、子どもはどこへ行くかわからないので、目だけは四方八方に向けています。だから、体は休まるんですが、目は疲れますね(笑)。
 私が子どものころは、遊びにかけてはずば抜けていたんですよ。友だちを引き連れて家の近くの石炭工場に行き、石炭の山に誰がいちばんに登れるか競争したり、石炭を積んだトラックに上って一緒に荷さばき場に行き、そこでまた遊んだり。悪ガキですよね。服はもちろん真っ黒で、吐く息まで黒いんですが、一度も親に怒られたことがありませんでした。当時、はやった携帯ゲームを持っていなくても毎日がすごく楽しくて、思い切り遊んだという思い出があるので、子どもにも同じように楽しんでもらいたいと思います。
 ただ、その半面、あまりにも勉強ができなくて、学校へ行くのがつらくなったらかわいそうと思う自分もいるんです。ほかのお母さんに、長女が和太鼓と水泳とバスケットボールをやっていると話すと、「勉強はいつするの?」という反応をされてしまったり、通信教育がいいと聞くと資料を取り寄せてみようかなと思ったり。教育ママにはならないだろうと思っていたんですけれど、片足入っているかもしれません(笑)。小学生になったら子育てがラクになると思ったんですが、新たな悩みが出てくるもので、悩んでいるうちに母親になっていくんでしょうね。
子育てには今しか楽しめないことがある。

 私の夫は、もともと育児に関心のない人だったんですが、2年前に大きな病気をしたのを境に、積極的に育児をするようになりました。入院中に、いかに自分が今まで子どもに対して何もしなかったかを考えたみたいですね。確かに仕事は忙しかったけれど、やろうと思えば何かできたはずで、せっかくの子育てのチャンスを逃してしまったと後悔しているようです。
 私も、ある時期から子どもの見方が変わりました。昔は、子どもは想像もつかない言動で私を楽しませてくれる、おもちゃのように軽快なものというイメージだったのが、次女の発育の問題や夫の病気のことがあって、実はとても深いものを秘めているのではないかと。それで、自分のマンガやエッセイの文中でも、軽快な感じの「コドモ」というカタカナ表記から、丸みのあるひらがなの「こども」へと、自然に変わっていきました。
 私は、講演会に呼ばれたときにも3人の子を連れて行きますし、毎日、真夜中に仕事をしたあと子どものために早起きする生活になっても、不思議とへこたれないんですね。きっと、子どもたちが元気でいてくれるから、私も元気でいられるのかなと思っています。
(取材日/2003年7月22日)