自分なりの「大人ルール」をつくって
子どもに接しよう。

香山 リカさん(精神科医)
1960年北海道生まれ。東京医科大学卒。精神科医。神戸芸術工科大学視覚情報デザイン学科助教授。臨床経験を生かして、新聞・雑誌で社会批評・文化批評・書評なども手がけ、現代人の”心の病”について洞察を続ける。テレビゲームなどのサブカルチャーにも関心を持つ。主な著書に『切ない…。−本の中のカウンセリング・ルーム−』(青春出版社)『ぷちナショナリズム症候群』(中公新書ラクレ)などがある。

大人になっても子ども時代のまま依存し合う母娘。

 精神科医として、自立できない親子関係のケースに携わることがあります。最近多いのは「自分の人生は母親の思いどおりにされ、やりたいことが全然できなかった」と訴える例に代表されます。でも、そう訴えるのは高校生の女の子ではなく、家庭をもつ30〜50代の女性なんですね。親のことを過干渉と思い、親の方も娘が自立しないことに不満なのに、互いに依存し合って離れられない関係なんです。娘の訴えを知った親は、この子が心配だったから、あるいは子どもの方が依存してきたから、親として精一杯やってあげたのに、なぜそんなふうに言われるのかわからない、という反応を示します。
 そうなる原因のひとつは、親が昔に比べて経済的に豊かになり、もっと生活を充実させたい、家族関係をよりよくしたいと、内面 的なことに関心が向かっていることです。それはいいことなのですが、子どもを抱え込めることが豊かさの象徴という気持ちがあるために、口では「早く自立してほしい」と言いながら、本音ではいつまでも「私のかわいい子ども」と思っているんです。
 それに今の おばあちゃん たちは、60代、70代になっても若々しくおしゃれで情報量 も多いので、「ママにはかなわない」という状況がずっとキープされる。そうすると、お母さんとそれに守られる子どもという構造が、孫の世代が生まれても続いてしまうんです。また、子どもの方も親にお金を出してもらえたり、面 倒なことはやってもらえたりと都合のいい部分もある。そうやって共犯関係のようになるのですが、ある時点で娘の方がふと自分の人生に空しさを感じたりしたとき、その原因を母親に求めてしまうことがあるわけです。
 そうした相談者への対応としては、苦しい気持ちを十分に理解してあげたうえで、犠牲になっただけでなくメリットもあったことに気づいてもらい、今後自分らしく生きていくにはどうしたらいいかをともに考えていきます。
自己愛が生まれ、修正されて、等身大の自分を知る。

 自立して生きていくためには、幼児期に獲得される「自己愛」が基本となります。自己愛とは、自分を尊重する気持ちのことで、赤ちゃん時代に何でも自分の望みどおりになったり、少し大きくなって「おりこうさんね」とほめられたりして育ちます。まわりから絶対的に肯定され、「自分は王様だ」という万能感を得ることが必要なのですが、万能感はお母さんからの直接的な愛情だけでなく、たとえば言葉が初めて話せたりすることでも満たされます。
 そして、幼児期に生まれた自己愛は、挫折というと大げさですが、たとえば学校の勉強で友だちに負けたり、兄弟ゲンカをしてお兄ちゃんにかなわなかったり、といった成長過程での経験によって修正されていきます。ただ、その場合、幼児期に万能感を得たことによる基本的な安心感がないと、自分より優れた人がいることを認められず、「自分は何でもできる」と幼稚に過信したまま大人になってしまうこともあります。
 また、子どもは自己愛を修正しようとしているのに、親がその機会を与えない場合もあります。親自身の過剰な自己愛を捨てられず、自分の夢を子どもにかなえてもらいたいと思うあまり、「うちの子ができないわけがない」「がんばればできるはず」と子どもの失敗を認めない。そうすると、子どもは親に嫌われたくないから「がんばるよ」と言うわけですが、それで親は「子どもがやりたがるからやらせてる」と思い込んでしまうんです。
 自己愛が修正されにくい要因としては、マスメディアに「がんばれば夢がかなう」とあおられ、「まあこの辺かな」と見きわめをつけにくい面 もあります。夢を追い続けるのは素敵なことですが、何かいい形で等身大の自分を見つけられるといいなと思いますね。
大人の責任を自覚しつつ、子ども文化を楽しもう。

 自分と親との関係を乗り越えられず、いつまでも子どもの立場でしかいられないと、自分の子どもができても親として対しきれなくなります。そうすると、子どもに向かって友だちみたいにグチを言ったり、依存的になったり。「うちは子どもと対等な関係なんです」と言う人がいますが、親子には力の差があって対等ではないと思うんです。なぜなら、子どもはお母さんにそんな話をしてほしくないと思っても、「がんばって、お母さん」と親に気に入られるような答えをしてしまうわけですからね。
 大人がゲームやウルトラマンのフィギュア集めなど、「子ども文化」を楽しむのは自由だと思うし、私自身もゲームは大好きです。けれども、大人が子ども文化を享受することと、社会での責任や子どもを庇護すべき親としての意識を持つことは別 だと思うんです。
 昔の人も、本当に内面的に大人だったわけではなく、大人のふりをしたり、ヒゲをはやしたりと、形から大人になった部分があるのではないでしょうか。だから、たとえポーズであっても、子どもの前でこういう話はしないとか、涙を見せないとか、自分なりの「大人ルール」をいくつかつくって、子どもと接する必要があると思いますね。
(取材日/2002年9月24日)