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1歳半ぐらいになると、たとえば長方形の積木をバスにみなして「ブーブー」と言いながら動かしたり、耳にあてて携帯電話のまねをしたりします。これはみたて遊びと言いますが、実はものの形を突き詰めてとらえる抽象能力が育っているということなんです。また同時に、みたて遊びはひとつのものの中にいろんな可能性を見出そうとする行為で、それは応用力へと育っていくものです。なのに大人は、バスに興味を持ったからとバスのオモチャを与え、その能力を捨てさせてしまう。ぼくが子どもたちのためにやっている創造アトリエでは、最初はボールを使って、ひとつのものがどれだけ豊かな世界を持っているかを体験させます。 やがて子どもは、たくさんのものを使ってひとつのものを作り上げていく遊びをするようになりますが、それは「まとめる力」が育っているんです。ぼくが考案した積木は、形が違うものでも積むと高さや長さが一致するようにできているので、どんなふうにでも組み合わせられ、遊びが広がっていきます。積木どうしに関係性があって、ひとつもムダなものがないから、子どもの集中力は持続するし、注意力を働かせてどこに何があるかを覚えて、必要なときにパッと持ってきます。 でも親は、そういう子どもの能力やその子だからこそ持っている素晴らしさがわからないし、欲張りですね。たとえば、スミレ・パンジー・バラの花があるとすると、スミレの花のお母さんは「先生、なんでうちの子にはバラの香りがないんでしょう?」なんて聞くんだよね(笑)。それはスミレだからですよ! また親は「何か教育しなければ」と思うみたいだけど、口を出さないでポケーッと見てると、子どもは自発的に行動を生み出していくんです。そういう子どもの行動を発見することが、子育ての最高の喜びだと思います。 ぼくは「お母さんは脇役なんだから、主役である子どもがどうしたいか見てあげてくれ」と言います。子どもの様子を見ていて、もっと活動が豊かになるなと思うものをそっと用意しておけば、それを使って遊び出します。そして、何かを作ったら子どもは「ママ、できたよ」「スゴイでしょ」と必ず共感を求めます。親はそれを受け入れてほめてやると、子どもに新たな意欲が生まれるし、できるなら活動がさらに広がっていきそうな言葉がけをしてあげるといいですね。 |
人間は本質的に創造的な欲求をもっているので、創造活動をすると生き生きします。創造活動とは、簡単に言うと「何かを発見して表現すること」。たとえば、丸いものが転がることを発見したら、次には意識的に転がし、力を入れたら遠くまで転がることを学びとる。そして、さらに変化・発展させてもっと面白いものに変えていこうとします。 発見するときには感覚と感性を使います。食べ物を「甘い」「辛い」と感じるのが感覚、「おいしい」「まずい」と感じるのが感性です。幼児期に知性よりも感性が大事なのは、「おいしいな」と感じないと「どうやって作ったの?」と疑問をもって知りたいと思わないから。だから、たとえば自然のように偽りのないものにたくさん触れ、「素敵だな」と感じることが必要です。本物は、機能的にも造形的にも調和がとれていて人間の知性や感性を裏切らないんです。 創造力は、想像力がベースになっています。想像力とは、記憶された情報をまとめたり応用したりしてイメージし、ひとつの答えを導き出してくる力です。好きなことなら自発的に想像力を駆使してやろうとするので、創造性はどんどん広がり深まっていきます。だから子どもにとって、好きなことに出合わせて、それに精神が集中するときの充足感を味わわせることが大事なんです。幼いときに喜びや感動・充足感をたくさん味わった精神は、大人になってもそれを求め続け、自分のやりたいことを見つけていきます。 人間が求めているのは関係性なんです。人間と人間の関係、情報を関係づけること、そして人間と自然との関係。生命はみんなつながり合って互いを生かし合っていることがわかると、あらゆる存在と大事に関わるようになります。子どもは遊びの中でそれを体験するわけですから、創造アトリエでは、形をテーマに遊びながら「つながり」の素晴らしさを直感させたいと思っているんです。 |
(取材日/2001年6月27日) |