アートと遊びと子どもをつなぐメディアプログラム汗かくメディア2008受賞作品公開展示【記録】
終了しました
- 会期
2008年9月13日(土)から9月23日(日)まで
◎音玉-ontama-
[奥田伸二+安積亜希子]
作品解説
『遊び』を通じて体を動かしたり、感情をあらわにしたり、周りとコミュニケーションをとることで、子どもたちの「身体」と「心」は結びつき、養われます。しかし、現在の『遊び』はどうでしょうか。現在の『遊び』としてコンピュータゲームなどが目立ちますが、遊んでいる子どもたちの表情は固く、周りと直接コミュニケーションをとる機会は少ない様子です。現在の『遊び』は「身体」と「心」が分裂しているように感じられます。これらから、作者は「身体」と「心」が結びついた『遊び』が必要であると考え、そのきっかけとなる作品を制作しました。
《音玉-ontama-》は、柔らかいボール型で、自由に手に取って遊べる作品です。参加者が《音玉》に話しかけたり、様々な音を聞かせると、その音が《音玉》に録音されます。そして、弾ませたり、投げたり、転がしたりすると、録音された音が再生され、それと同時に光ります。《音玉》を使って様々な遊びを創造しましょう。
作家感想
子どもたちは、《音玉-ontama-》から自分の声が出てくると目を丸くして喜んでいました。また、使い方を覚えた後、子どもたちは自分たちでルールを決め、遊びを創造していました。様々な音を録音し、友達と投げあったり蹴ったりする子どもたちの活発な姿が見受けられました。また、子どもたちだけでなく、大人たちも一緒に楽しむ姿が多く見られました。親子で交互に《音玉》へ言葉を録音し、転がしあっているのを見て、文字通り「言葉のキャッチボール」をしているようでした。私たちも、その子どもたちと一緒に遊んでたくさん汗をかきました。
今回制作した《音玉》は、子どもたちが体を動かし感情を表に出す『遊び』のきっかけとなったのでないでしょうか。《音玉》を使った様々な『遊び』が、子どもたちの想像力によって、今後も発展していけばと願っています。
◎オトマキ
[エレファント]
作品解説
私たちは、チャレンジタワーの中で、できるだけ「チャレンジ」なことをやってみたいという思いから、参加者がタワーを上り下りし、タワーの内部の空間をも楽しめるような「遊び」の制作を目指しました。
「オトマキ」は、「オトマキボール」(音の鳴る手のひら大の装置)をチャレンジタワーの上部から落とす(まく)遊びです。センターのスタッフの方が命名して下さった「オトマキ場」までは、通常の建物の3階?4階ほどの高さがあります。参加者はそこまで音のもとを手にして登ってゆき、「オトマキ」をします。
オトマキボールにはパラシュートのようなハネがついていて、上手に落とすと、ビーッという音を響かせながらゆっくりと落下します。タワーの下には、金物、プラスチック製品、クッションなどのさまざまな日用品を配置しています。落ちたときに起こる「がしゃん」「かーん」といった音や、積んである日用品が崩れるといったイベントも楽しめるようになっています。数個のオトマキボールを同時にまくと、複雑な音と落下の様子をさらに楽しめます。
単にものを投げ落とすのではなく、豆まきや種まきといった言葉からイメージする「まく」という言葉が持つもの、希望や願いを託して投げる行為、そういったものを見立てに加えたいと思い、この遊びを「オトマキ」という名前にしました。
作家感想
「高いところから、音が鳴りながら、ものが落ちて来ることを楽しむ」には、何をどう準備したらよいか?ゆっくり落とすにはどういう方法があるか、うまく音を鳴らすにはどうしたらいいか・・・・試作と実験を繰り返し、制作者たちもたくさんの汗をかかせていただきました。会期が始まってからも、参加者の様子から多くのヒントを頂き、オトマキボールの動作、ハネの形状や下に置いたオブジェクトの配置などに生かすことができたのは、とてもよい経験でした。
何度も繰り返し遊んでくれたり(最高は1日8回でした)、やり方を覚えてお友達を案内してくれたり、楽しんでくれる参加者の方の様子を見る事ができたのが大変嬉しく、大きな収穫でした。
大変手のかかる作品だったのですが、スタッフのみなさんの細やかなお気遣いや、作品を理解しようとする姿勢、きちんとした運営にも多くを学ばせていただきました。
一番印象に残っているのは、「どうしてもやりたくない」と大泣きしたこどもがいたこと。一緒にきた兄弟や友達は躊躇なく上っていくのに、彼だけはがんとして拒否します。泣いているうちに、他のこどもたちが「オトマキ」を始めると・・・「なんだ、ぼくがいっしょに落ちるんじゃないんだ」。ピタリと泣き止んで、音のもとをつかんで駆け上っていきました。
次回はぜひそのくらいのスケールの作品にしたいと思います。
◎数の顔写真
[呂ひろし]
作品解説
デジタル写真は数字で成り立っている。これは言われてみれば当たり前なことであるが、普段使っているときは案外意識されることがない。この遊びでは大人と子どもが体を使って、一緒にデジタルの仕組みを再発見する。0〜7まで8段階の正方形や縦横16個ずつの規格、合計256回繰り返し並べる行為。作品中に登場するこれらの決まりは全てデジタルのアナロジーである。渡された数字を忠実に再現して並べるこの作業の窮屈さは、デジタル処理と普段手で描くことの違いを説明している。ところが、作業が終わっても写真は現れない。近くでじっくり見ても、大きさまちまちの正方形がバラバラに並んだものにすぎない。これを見るためには遠くへ行かなければならない。なぜなら、十分に小さく見えるときにはじめて、眼はバラバラの正方形を一つにまとめ、本来の写真として捉えることができる。
全体像を捉えられるとき、情報が身体に寄り添う。その瞬間、普段は気にもかけない、数と写真と眼の三者の不思議な関係を体験できる。
作家感想
この作品はグループの作業量が大変な上に自由度が低いので、果たして最後まで飽きずに子どもたちが続けられるかが少し心配だった。しかしいざやってみると、同じ作業でもグループごとがあの手この手工夫をして、それぞれの個性的な進め方はずっと見ていても飽きないものであった。中にはお父さんやお母さんが司令塔となり、子どもたちは指示を出されてはそれに従って作業をするグループがあったり、作業をきっちり三等分し、時間でローテーションを組んでは素早く進める小学生のグループもあったりした。その一方、途中まで興味津々にやっていた子どもがお兄ちゃんにダメ出しをされてすっかりすねてしまったところもあった。
この作品で、参加したグループが共同作業やそこでのコミュニケーションをとても楽しんでもらえたことは、僕にとっては予想外の収穫であった。また、遊びのあとに、グループで作った顔写真と本人を並べて、いつまでもシャッターを切り続けるお父さんやお母さんたちの楽しそうな姿が、僕のこの夏休みの一番の思い出となった。