あのねっとリポート 1
テーマ「ネットワークでひらこう!子どもの未来」
日本子どもの虐待防止研究会あいち
大会が、名古屋国際会議場で開催。
 2000年12月8日・9日に、「日本虐待防止研究会(通称JaSPCAN)」の第6回学術集会あいち大会が、名古屋国際会議場全体を使って催されました。日本虐待防止研究会は、医療・保健・福祉・教育・司法・行政等の実践家・研究者の研究会として、1996年に発会し、毎年全国で研究会等を開催。あいち大会のテーマは「ネットワークでひらこう!子どもの未来」で学術集会に協賛して市民集会も同時に行われました。
 1日目のオープニングは、あいち大会実行委員長の祖父江文宏氏のあいさつの後、CAPNA劇団による朗読劇「舞う雪に、さっちゃんの歌が、聞こえる」が上演されました。ストーリーは、CAPNAのホットラインにかかってきた「我が子を叩いてしまう」という、母親の電話を相談員が受ける場面から始まる。相談は次第に深刻になり、電話の向こうから女の子の泣き声とともに「さっちゃんの歌」が聞こえてくる。そして相談員の心に眠っていた自身の虐待の記憶が蘇る。子ども虐待と虐待の傷を負って成長した相談員の様子が、臨場感ある語りで演じられました。

 続いての特別講演は、「だからあなたも生きぬいて」の著者で弁護士の大平光代さん。今回の講演テーマは著書と同名。思ったより小柄で華奢な大平さんは「大阪弁でまくしたてないように話す練習をしてきました」と場内をなごやかな雰囲気に。まず担当した少年犯罪への思いと、自分の生い立ちについて話が進みました。非行で少年鑑別所に入った少女に弁護士として関わるうちに、母親と兄の虐待の被害者であることが判る。 周囲の方たちや、臨床心理士の努力で立ち直りつつあり、将来は「臨床心理士になりたい」とのこと。「将来の目標をもつ」ことは立ち直るためにとても大事と言い切る。次は自らの生い立ちとして、中学生時代のイジメによる自殺未遂から、非行、暴力団員の妻になったこと。ある人の「道を踏み外したのは、あんたが悪いだけではない。遅くないからやり直しなさい」という一言で立ち直り、22才から勉強して弁護士になったことなどを思いを込めて話されました。最後に「こうやって弁護士になっても過去にやってきたことはやはり消せないことを子どもたちに分ってほしい。くやしいことにぶつかったら、それをバネにしてはね返してくれることを心から願ってやみません」と締めくくられました。
 学術集会では他に、様々な教育講演や講座、分科会が2日間にわたり催されました。また市民集会では、虐待防止、子育て、女性問題、地域のネットワークづくり、障害児支援、国際援助など26の団体が活動内容やメッセージをブース展示。さらに交流会・ワークショップやステージイベントなどが、様々な市民団体によって企画され、にぎわいました。
 
あのねっとリポート 2
子育て公開トーク「のびのび子育て」
心なごむダニエル・カールさんと
「DiVa」+谷川俊太郎さんの舞台。
 
 平成12年度子育て公開トーク「のびのび子育て」が、2001年1月13日に名古屋市千種区の今池ガスホールで開催されました。第1部はタレントのダニエル・カールさんによる講演、第2部は音楽グループ「DiVa(ディーバ)」と詩人・谷川俊太郎さんによるジョイントコンサート(20ページ参照)で、心なごむお話と演奏の様子をご報告します。

 第一部 
【講演/ダニエル・カール「ダニエルの子育て論」】
おなじみ!東北弁のイントネーションで。  私は子育てのエキスパートではなくて、日米文化比較論が専門なんだ。NHK番組「すくすく赤ちゃん」に4年間出演したことや1人の息子の父親ということで、今日招かれたんだと思ってます。まずどうして私が日本へ来たのかを、簡単にお話ししましょう。1回目の来日は高校時代で、交換留学生として奈良の智弁学園に1年間いて、初めて覚えたのが奈良弁。2回目は大阪の関西外国語大学、京都の二尊院、文弥人形づかいの弟子入りをした佐渡島に合わせて1年間程いたので、今度は大阪弁と京都弁と佐渡弁が玉葱の皮のように乗ってしまった。大学卒業後に再来日し文部省英語指導主事助手になって、今度こそ標準語を学びたいと思っていたのに、山形県に赴任することになってしまった。でも、ここが良くてね。3年間もいてしまいました。今は東京に住んでるけど、引退したら山形で暮らしたい。だから自宅では、英・日・山形のトライリンガルでやってます。さて、そろそろ本題に入ります。
 まず日米の子育て論の違いからいいますと、1番目は「支配しがち」なところが日本にあるということ。少子化で面倒をよくみるようになったけど、支配しすぎることとは違う。例えば息子のアレキサンダーがハイハイしていた時にコンセントに興味をもつようになった。奥さんは2m以内にはいると「危ない」と寄っていくが、私は違う。結局話し合いで2mを50cmにさせたんだけど。また公園デビューしてお母さんたちを見ていた時、大人と同じように子どもと口論していることが不思議に思えましたね。子どもは言葉の能力がまだ無いうちにお母さんにしかられると、お母さんとしゃべるのをあきらめてしまうと思う。
 2番目は「日本の謙遜の使い方の複雑さ」が子どもに分かるかどうかということ。謙遜というコンセプトは世界中にあるけど、使い方の巾が違う。個人主義のアメリカはお互いが離れていて(黒板に図をかきながら)自分に対してしか使わないが、グループ意識が強い日本は結婚するとお互いに区別をしなくなる。だから仲が良いのに奥さんを「愚妻」と呼んだり、大事な息子を「ウチのばか息子」と言ったりする。昔ね、知り合いの家で奥さんを「愚妻」と紹介されて、名前だと思って呼んでしまったこともあったんだ。こういう謙遜の複雑さが、大人同士には分っても、子どもには難しいのではないかと心配。だから、上手く謙遜を使ってほしいというのが私のアドバイスです。

(文責/編集担当)


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